「ことば」のコミュニケーション・ディベート in 東京学芸大
東京学芸大こども未来研究所教育支援フェロー小林拓哉さんをお招きして、学習クラブ「コミュニケーション・ディベート」を開催しました。
(「コミュニケーション・ディベート」については、こちらの朝日新聞DIALOGの記事をご覧ください。)
参加者は、日出学園高校の生徒たちと卒業生、教員。そして、こども未来研究所の小林拓哉さん、東京学芸大学部生の松下光さん、樋口悠太さんです。
今回のテーマは「ことばを食べて生きる」。日出学園卒業生の江川佳代さんが自分の体験をふまえて提案してくれたテーマです。
参加者には、下の文書を前もって配布し、自分の意見を考えた上でコミュニケーション・ディベートしました。
今回は 東京学芸大のキャンパス見学もさせていただきました。
「ことば」についてのコミュニケーション・ディベートは初めての試みでしたが、「ことば」の世界と「食べもの」の世界を対比させることで、「ことば」について考えるというとても刺激的な試みとなりました。
参加者からは、「自分の『ことば』についてあまり意識することがなかったが、思いもよらない視点から自分の『ことば』について考えることができて意識が深まった。」「とにかくとても楽しかった。やばいくらい。」といった感想がありました。
こども未来研究所の小林さん、東京学芸大学部生の松下さん、樋口さん、ありがとうございました。
これからも、さまざまなテーマで「コミュニケーション・ディベート」していきます!
————————— 以下配布文書 ——————————
テーマ:「ことばを食べて生きる」
精神にとっての食物、つまり言語。
言葉をしゃべったり、書いたりするのは、精神が喰べてることだ。
しゃべっているとき、書いているとき、精神は空腹をみたしているのだが、
そのときほんとに養分として摂取されるのは、ごくわずかで、あとは老廃物
として排せつされているのとおなじだ。
—吉本隆明『言葉からの触手』より
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「ことば」と「食物」には、考えれば考えるほど多くの共通点があります。
その分かりやすい例として、「ことばを飲み込む」や「ことばを味わう」などの比喩表現が、日常の中でも使われています。
私たちは肉体のための食事に気を使うことはありますが、精神のための食事には普段あまり気を使っていません。
そこで皆さんに質問です。
(1) 「ことば」と「食物」に共通すると思う点を教えてください。また、それを踏まえて
「ことばを食べた」と、今までを振りかえり感じる瞬間はいつですか?
(2)自分の「ことば」を食べものや飲みものに例えるなら、何だと思いますか?
また、その理由も教えてください。
(3)自分にとって「食べられることば」と「食べられないことば」を分けるとしたら、その基準はどのようなものになりますか?