創立90周年記念式典

創立90周年記念式典

学校法人日出学園は2024年11月2日に創立90周年を迎え、創立90周年記念式典を開催しました。 

【式次第】

一、オープニング記念映像
一、開式の挨拶
一、国歌斉唱
一、学園歌斉唱
一、理事長・学園長挨拶
一、来賓祝辞
一、来賓紹介
一、実行委員紹介
一、卒業生保護者・卒業生 祝辞
一、生徒会長挨拶
一、記念アトラクション
一、閉式の挨拶

オープニング記念映像

制作者:okkaaa(2017年度高等学校卒業生)
ミュージシャン/ライター/フォトグラファーと様々な領域で活躍するマルチクリエイター

 

創立90周年にちなみ「90の視点」をキーワードに、幼稚園は教職員が、小学校・中学校・高等学校は児童・生徒がフィルムカメラ「写ルンです」を使って「日出学園の風景」を撮影しました。こうして集まった「90の視点」に撮影者本人がタイトルを付け、それを元にokkaaaが作詞作曲を手掛け、楽曲が完成しました。実際に撮影された写真は映像内でも使用されています。

 

式典会場の様子

国家・学園歌斉唱では、会場後方で参加していた小学校1年生・2年生の元気いっぱいの歌声が会場をつつみ、晴れやかなスタートを切りました。
本学理事長・学園長の青木貞雄よりご挨拶申し上げた後、ご臨席賜りました学校法人平田学園理事長国府台女子学院学院長平田史郎様と、市川市市長そして日出学園小学校卒業生の田中甲様より、温かなご祝辞を頂戴しました。

人数制限により会場で参加できなかった在園生たちは、各教室にてLIVE配信で式典に参加しました。

卒業生保護者・卒業生 祝辞

 

 

【ご祝辞を頂戴した皆様】

松木安太郎 様
2004年度卒業生(幼稚園~高等学校)保護者
2006年度卒業生(幼稚園~高等学校)保護者
2008年度卒業生(幼稚園~高等学校)保護者
元日本代表プロサッカー選手、現サッカー解説者。サッカー日本代表に関連する試合中継などを担当。

小笠原道大 様
2016年度卒業生(小学校~高等学校)保護者
2018年度卒業生(小学校~高等学校)保護者
元プロ野球選手。2006年パシフィック・リーグ、2007年セントラル・リーグMVP。アテネオリンピック野球銅メダリスト。

竜馬(菊間竜太朗) 様
1999年度卒業生(中学校)
プロヴァイオリニスト。300本以上の映画・ドラマ・CM等のレコーディングやライブに参加。関わった作品は『ALWAYS 三丁目の夕日』、『ゲド戦記』、ファイナルファンタジーシリーズ等。

 

 

【動画編集担当者】

5年1組 室木 康士朗 さん
5年2組 石原 羽海 さん
5年2組 村上 瑛飛 さん
2年1組 杉本 香月 さん
メディアアシスタント(卒業生) 加藤陽 さん

 

記念アトラクション

幼稚園年長合奏、年中合唱 幼稚園年長合奏、年中合唱

幼稚園年長・年中園児が、幼稚園ホールから映像中継で、一生懸命な合奏・合唱を会場に届けてくれました。

【曲目】『喜びの歌』『誕生日のうた』

小学校ダンスクラブ演舞 小学校ダンスクラブ演舞

総勢27名の児童がグループごとに躍動感あふれる演舞を披露し、開場を盛り上げてくれました。
【曲目】『It’s Very Minnie』『Sweet Nonfiction』『ケセラセラ』『勇者』『青と夏』『I Wish』『Living in Color』

中学校バトントワーリング部演技 中学校バトントワーリング部演技

中学校バトントワーリング部は第59回バトントワーリング関東大会コンテストの部にて金賞および千葉県教育長賞を受賞。高等学校バトントワーリング部も同大会コンテストの部にて金賞を受賞し、中学校・高等学校ともに全国大会に出場します。今回はスペースの都合上、縮小バージョンでの演技となりましたが、来賓の皆様に圧巻のパフォーマンスを披露してくれました。

【曲目】中学生:『海の見える街』、高校生:『red moon』

高等学校バトントワーリング部演技 高等学校バトントワーリング部演技

初代理事長 青木要吉 胸像 除幕式

左手から学園業務部 児玉部長、小学校 荻原校長、同窓会 馬場会長、青木理事長・学園長、中学校・高等学校 堀越校長、幼稚園 鍜治園長 左手から学園業務部 児玉部長、小学校 荻原校長、同窓会 馬場会長、青木理事長・学園長、中学校・高等学校 堀越校長、幼稚園 鍜治園長

 この記念すべき創立90周年を期に、初代理事長胸像を再作成し、日出学園同窓会の寄贈により、日出学園正門に設置しました。

 初代理事 長青木要吉は、1866(慶應3)年11月2日に岡山で生まれ、同志社英学校卒業後、教壇に立ち、1892(明治25)年よりエール・コロンビア大学で経済学を学んだ後、実業界で活躍。1898(明治31)年、岡山中学を始め、第六高等学校講師、私立山陽高等女学校校長を兼務しました。1905(明治38)年東京に移住し、実業家に転身。1918(大正7)年に市川菅野に居を構え、在住の教育者ヒラタケゾウ氏らと「昔の寺子屋のような少人数制で子供の個性伸長に資する学校設立」を目指し、1934(昭和9)年4月、青木要吉提供の土地、在住有志の出資、並びに平田学園東華幼稚園園児受入れを以って、日出学園幼稚園・小学校を開校しました。青木要吉は、事業家として吾妻商会社長を務める傍ら、1938(昭和13)年6月8日に72歳で死去するまで、日出学園理事長を務めました。